‘それ自体に価値があること’
このテーマについて、本格的に書かなければならない。問題は本質的にはこういうことだ。 もし私が、「あのトルコ絨毯の価値とは、それ自体にあるのではなく、私たちの中に『価値』という感覚を呼び起こす能力の結果なのだ」と言うなら、 それは、「その絨毯には内在的価値(intrinsic value)がある」と言うことと、本当に違うのだろうか。 - Brian Eno, “A Year Swollen Appendices: Brian Eno’s Diary”
ブライアン・イーノの日記を読んでいて、ある問いに立ち止まった。
あるものの価値が、私たちの中に「価値」を呼び起こす力によって生まれるのだとしたら、それは、そのもの自体に intrinsic value──それ自体に価値があること──内在的な価値──があると言うことと、本当に違うのだろうか。
この問いを読みながら、島で過ごしてきた時間のことを考えた。
夕暮れ。
波の音。
月明かり。
風。
人がうたうこと。
私たちは、こうしたものに価値を「加える」ことができるのだろうか。
むしろ、もともとそこにあるものと出会うことで、私たちの内側に何かが起こるのではないか。
音楽についても同じかもしれない。
音楽が自然を美しくするのではない。
音楽によって、そこにあった風や波や光を、もう一度聴き、見ることがある。
そう考えると、私がこの島でしてきたことは、価値をつくることではなく、価値に気づくための関係を整えることだったのかもしれない。
価値は、自然の中にあるのか。
私たちの中にあるのか。
まだ、よくわからない。
けれど、そのどちらかではなく、世界と私たちが出会うところに、価値は立ち上がるのかもしれない。
今日、intrinsic value という言葉から、そのことを考えた。