ウマチーの意味
八重山に暮らしていると、
祭りは「イベント」ではないのだと、
何度も気づかされる。
ウマチーという言葉がある。
沖縄の農耕文化のなかで受け継がれてきた祭祀で、
麦や稲の生育の節目に神々へ祈り、
実りを願い、収穫に感謝する。
けれど、八重山まで来ると、
その時間は一つの「ウマチー」という名前だけでは括れない。
島や集落によって、
スクマ、プーリィ(豊年祭)など、
異なる名前と形を持つ祈りがある。
それぞれに暦があり、
場所があり、
神々があり、
そこで暮らしてきた人々の関係がある。
だから大切なのは、
「ウマチーとは何という祭りなのか」と一つの答えに置き換えることではないのかもしれない。
むしろ私が惹かれるのは、
その奥にある時間の感覚だ。
種を蒔く。
雨を待つ。
稲が育つ。
実りを迎える。
それを人間だけの成果とは考えず、神々や自然へ感謝する。そして人が集まり、
祈り、唄い、踊る。
そこでは、
人間が暦を支配しているのではない。
人間のほうが、
季節のなかに自分たちの居場所を見つけている。
私はこのことを、とても大切に感じている。
音楽について考えるときも、
何を演奏するかより先に、いま、どんな時間のなかにいるのかを考える。
夕暮れなのか。
新月なのか。
満月なのか。
風はどちらから吹いているのか。
この土地では、いま何が起きているのか。
私たちは、ときどき
新しいものを「つくる」ことに夢中になりすぎる。
けれど土地には、
私たちが来るずっと前から、
時間が流れている。
祭りがあり、
祈りがあり、
唄があり、
季節を迎える方法がある。
ウマチーという言葉を知ることは、
そのすべてを理解したということではない。
むしろ逆なのだと思う。
まだ知らない時間が、
この土地にはあると知ること。
そして、
自分たちの時間を持ち込む前に、
そこにすでに流れている時間に耳を澄ますこと。
それが、
この土地で何かを始めるときの、
最初のPracticeなのかもしれない。